NPO法人 Serenity 〜自死遺族への差別偏見を失くす〜
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新年のご挨拶が遅くなりましたが、今年もどうぞ宜しくお願いいたします。



昨年も公私ともども沢山の方にお世話になりました。

ありがとうございます。

未熟な私ですが、引き続き今年もどうぞ宜しくお願いいたします。



今日は仕事始めでした。

年始でもいつでも、相変わらず忙しいのには変わりません。



仕事は正直あまり好きではないのですが、職場のみんなと会うとなんだかほっとしました。



改めてですが、自分の気持ちの整理とお礼と、少し長くなりますがここ数年のことについて振り返りたいと思います。



何年か前に活動をやめようと思いました。



もともとこの活動を始めるときも、私は当事者なので活動がつらくなったらいつでもやめれるようにと、しがらみを作らず身軽にしておこうと思っていました。



あと自分の本位でないことは絶対にしたくないし話したくない。

しがらみなどで本位でないことを無理してすることだけは活動についてはしたくないと思っていました。



活動のこと家族の問題、家族や自身の体調不良、父の年齢を超えて生きていることの罪悪感・・・



私は実名で顔出しで活動しているためオンとオフの切り替えがなかなかできないこと。自分のしていることについてこれでいいのかと迷いと不安・・・



燃え尽き症候群なのか何なのかわかりませんが、何かが自分の中でぷつんと切れてしまい「自分には無理だ。もう、やめよう」とふと思いました。



もともと誰かに頼まれてやったことではないし、私が勝手に熱くなり、始めた活動だ。無責任かもしれませんが、そう思いました。



そんな風に思った一週間後、北海道の網走市から講演依頼のメールが来ました。全く縁の無い土地からの講演依頼。



驚きました。そしてとても嬉しかった。



担当者の方が講演を依頼して下さった理由を「とても大切な問題だと思いました」と言って下さいました。



その時に私はなんだか父に全てを見透かされているように思いました。



「そんなことじゃだめだ、まゆ。まだやることはたくさんあるぞ」と怒られているような気がしました。



そして父は姿は見えないけどちゃんと私を見守ってくれているんだな、とあたたかい気持ちになりました。



活動は自分のできる範囲でやればいい。



私にとっては父の自死は活動を始める前からもずっと日常にあったことなんだ、

そしてこれからも、と。



そう思ったら少し楽になれました。



その後、徳島県の三好市からも講演依頼がきました。こちらも全く縁の無い土地でした。



そして活動仲間たちからもイベント開催の際には声をかけて頂いたりと、ありがたいことでした。



私の話を聞いて下さった方からメールをいただいたり、中にはネット上で漫画を描いて下さったりした方もいました。



卒論のテーマにしたいと学生さんが話を聞きたいと言って下さったり、教師を目指しているので私のような立場の生徒さんに遭遇する場面があったときのために話を聞きたいと言ってくださったり。



お礼が遅れたり、ブログを書く余力もなかったりと大変申し訳ありません。



これから少しづつおひとりおひとりにお礼の挨拶や連絡をさせて頂きたいと思います。
新年のご挨拶が遅くなってしまいました。

年末年始に風邪をひいてしまい体調を崩しておりました。

なんだかずるずると長引いており、まだ体調が万全とは言えませんが
これも何らかのメッセージだと思い、今年は健康第一でいきたいと思います。

年賀状を下さった方にもお返事がかけておりません。
大変申し訳ありません・・・

少しづつ返信致しますのでお待ちください(>_<)

みなさま今年もどうぞ宜しくお願い致します。
ひさびさのブログ更新となってしまいました。

プライベートの方がどうしてもバタバタして落ち着かず・・・
この間もたくさんの方にご迷惑おかけしてしまいました。
大変申し訳ございません。
またそんな私を応援して下さってありがとうございます。
感謝しております。

「そこまでして何故活動しようと思うの?」
と私を心配してとある方が私に言われました。

私も時々ふと思います。
以前は「辛くなったらやめよう」と思っていたのですが
自分の状況が辛くなればなるほど、
いかにこの活動に私が助けられていたことを・・・

日々生きるのに精いっぱいの私には大きなことは出来ませんが
ただ、自分の想いを綴るためにブログを書いたり、
ご遺族からのお話しを聞いたり・・・
出来ることをこつこつと地道にやっていこうと思います。

先日もご遺族の方から、お電話で差別偏見を受けた体験を聞かせて頂きました。
大切なお話し聞かせて頂いてありがとうございます。

その方がお話しの最後に
「自死してしまう直前の家族の気持ちを聞きたかった。
でもそれは二度と叶わない夢なんです」
と言われました。

私もそれはずっと同じように思っています。
父が自死する直前の気持ちを父の口から直接会って聞きたい。
でもそれは絶対にかなわない夢なのだと。

生きていたら何年か後、
いや何十年か後でも、ふと父にあの時はどうだったの?と聞くことが出来る。

私自身も未熟さゆえに大切な人を傷つけてしまうことがあります。
そんな時に私は「もう二度と会ってもらえないかもしれない、許してもらえないかもしれない」
という恐怖が沸いてきます。逃げたくなります。

勇気を出して自分の傲慢さや未熟さを反省して謝罪する。
そんな時、許してもらえたらやっぱりとても嬉しいです。
相手に感謝してまた頑張ろう、という気持ちになれる。

一度過ちを犯してしまったからといってそこで「終わり」ではなく、やり直せるんだと。
そう思ったときに「父も生きてて私たちにこうしたかったんじゃないか」とふと思いました。

私は父のできなかったことをしっかりとやることが
遺された私の役割だと最近思うようになりました。

それはいわゆる「活動」だけが大事なのではく、
自分の日常の生活や身近な人間関係などをしっかりと
一つ一つ丁寧に生きていくことなんじゃないか。

そこを通してでしか、
父や沢山の自死した人たちの気持ちは分からないんじゃないかと。

死んでしまったら、もうそこで終わりです。

父も天国から
「お父さんはあの時本当はこう思ってたんじゃないのかなあ」
と自分のことを話している私と母を歯がゆい想いで見守ってくれていることでしょう。
また、父の事ですみません。

10月は父の命日があるので、どうしても父のことを普段よりも考えてしまいます。

セブンスターは父の好きなタバコでした。

そういえばタバコをお供えしたことがないなと思って、買ってきました。

ふと、父が吸ってたタバコの味ってどんなものなんだろう・・・
と思い吸ってみました。

私も20代の頃、試しに少しだけタバコを(1箱2箱)吸ってみた時があったのですが
その時は美味しいと思わずその時だけで終わりました。

でも、ひさびさに吸ってみたら、意外と美味しく感じました。

「父はこの味が好きだったんだな」と思いました。

父の好きなものって、タバコ、、コーヒー、釣り、パチンコ、読書・・・
他には何が好きだったのか、嫌いなものはなんだったのか・・・

ほとんど記憶にないのが寂しいです。

でも、つい先日の日記にも書きましたが、過去の日記を読み直して
父の自殺した理由というのが「あ、これかも」という納得できることが発見できました。

28歳の時に親戚に聞いた父の話でした。
今までは点と点でしかなかったものが、つながった瞬間でした。

受け入れられるのに、時間がかなりかかりました。
でもきっとそれも父の自殺した年齢を超えた今だからのタイミングなのだとも思います。

とっても苦しかったんだなあ。

父のことが許せた瞬間でした。

そしてそれは、父の事を許していると同時に、
また私自身のことも許しているのかなあとも思いました。
今日10月14日は、父の29回目の命日だ。

10月は毎年気持ちがかなり落ち込む。
記念日反応だ。

最近、プライベートでもバタバタ落ち着かないので
その疲れもあるのかもしれない。
10月に入って、色々な思いがどっと押し寄せてきている。

毎年、命日には同じような事を書いているような気がする。

父がいなくなって、あれから、もう29年も経った。

父の死亡診断書には10月14日が死んだ日となっているが
本当のところは分からない。

父はある日突然失踪して一週間後、地元山口県から遠く離れた他県の山奥で
車の中で一酸化化炭素中毒死しているところをたまたま通りかかった地元の人に発見された。

遺体の損傷が激しく、私は父の遺体は見ていない。
家に帰ってきたときは父は白い骨壺に入っていた。

一週間前まで、元気だった父が、
こんな小さな箱に入っているなんて、私は信じられなかった。

母は骨壺にすがって泣きわめいていた。
普段は感情を表に出さない、物静かな母があれだけ感情を露わにしているのは
後にも先にもこの時しかなかった。

13歳の私は涙など一切出なかった。

ただ、母の姿を見て、とんでもないことが起こっている
この現実を受け入れること、立っているのが精一杯だった。

自分の身体から魂が抜けていくのがわかった。
上から私を見ている、もうひとりの自分がいた。

父が何を思って自殺したのかなんて、いまだに分からない。
多分こうであろう、というのは想像できるが
やはり、それは想像でしかない。

答えを欲して、家族や親せき、色んな人に父の当時の様子を聞いたり、
自殺関連の本を読みまくったり
私の人生のほとんどは父の自殺の理由を知りたい
その一心でしかなかったように思う。

私は捨てられたんだ。
ただ、ただ、その絶望から救われたかった。

父が大好きだった。
愛されていると思っていた。

父のことを知りたくて、父の面影のある人を好きになった。
それでも父のことは分からなかった。

私も死んだら父の気持ちが分かるかもしれない。
会いたい、話したい,父のところに行きたい。
何度もそう思った。

父は39歳で自殺した。

来月には私は42歳になる。
父よりも3歳も年上になる。

私は少しは成長しただろうか。
少しでも、大人になれているだろうか。

父とお酒を一緒に飲みながら色んなことを話したかった。
たくさん喧嘩もしたかった。

父の自殺のことなんか、自分の人生から排除したい
一切無かった事にしたいと思っていたのだが
今、私はたくさんの人の前で父の自殺のことを語っている。

父の自殺が、たくさんの素敵な人との出会いを運んできて
応援して助けてもらっている。

皮肉なものだ。

39歳まで父に感謝の気持ちなど沸いてこなかったのだが
最近、少しづつ「ありがとう」と思えるようになった。