NPO法人 Serenity 〜自死遺族への差別偏見を失くす〜
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ひさびさのブログ更新となってしまいました。

プライベートの方がどうしてもバタバタして落ち着かず・・・
この間もたくさんの方にご迷惑おかけしてしまいました。
大変申し訳ございません。
またそんな私を応援して下さってありがとうございます。
感謝しております。

「そこまでして何故活動しようと思うの?」
と私を心配してとある方が私に言われました。

私も時々ふと思います。
以前は「辛くなったらやめよう」と思っていたのですが
自分の状況が辛くなればなるほど、
いかにこの活動に私が助けられていたことを・・・

日々生きるのに精いっぱいの私には大きなことは出来ませんが
ただ、自分の想いを綴るためにブログを書いたり、
ご遺族からのお話しを聞いたり・・・
出来ることをこつこつと地道にやっていこうと思います。

先日もご遺族の方から、お電話で差別偏見を受けた体験を聞かせて頂きました。
大切なお話し聞かせて頂いてありがとうございます。

その方がお話しの最後に
「自死してしまう直前の家族の気持ちを聞きたかった。
でもそれは二度と叶わない夢なんです」
と言われました。

私もそれはずっと同じように思っています。
父が自死する直前の気持ちを父の口から直接会って聞きたい。
でもそれは絶対にかなわない夢なのだと。

生きていたら何年か後、
いや何十年か後でも、ふと父にあの時はどうだったの?と聞くことが出来る。

私自身も未熟さゆえに大切な人を傷つけてしまうことがあります。
そんな時に私は「もう二度と会ってもらえないかもしれない、許してもらえないかもしれない」
という恐怖が沸いてきます。逃げたくなります。

勇気を出して自分の傲慢さや未熟さを反省して謝罪する。
そんな時、許してもらえたらやっぱりとても嬉しいです。
相手に感謝してまた頑張ろう、という気持ちになれる。

一度過ちを犯してしまったからといってそこで「終わり」ではなく、やり直せるんだと。
そう思ったときに「父も生きてて私たちにこうしたかったんじゃないか」とふと思いました。

私は父のできなかったことをしっかりとやることが
遺された私の役割だと最近思うようになりました。

それはいわゆる「活動」だけが大事なのではく、
自分の日常の生活や身近な人間関係などをしっかりと
一つ一つ丁寧に生きていくことなんじゃないか。

そこを通してでしか、
父や沢山の自死した人たちの気持ちは分からないんじゃないかと。

死んでしまったら、もうそこで終わりです。

父も天国から
「お父さんはあの時本当はこう思ってたんじゃないのかなあ」
と自分のことを話している私と母を歯がゆい想いで見守ってくれていることでしょう。
また、父の事ですみません。

10月は父の命日があるので、どうしても父のことを普段よりも考えてしまいます。

セブンスターは父の好きなタバコでした。

そういえばタバコをお供えしたことがないなと思って、買ってきました。

ふと、父が吸ってたタバコの味ってどんなものなんだろう・・・
と思い吸ってみました。

私も20代の頃、試しに少しだけタバコを(1箱2箱)吸ってみた時があったのですが
その時は美味しいと思わずその時だけで終わりました。

でも、ひさびさに吸ってみたら、意外と美味しく感じました。

「父はこの味が好きだったんだな」と思いました。

父の好きなものって、タバコ、、コーヒー、釣り、パチンコ、読書・・・
他には何が好きだったのか、嫌いなものはなんだったのか・・・

ほとんど記憶にないのが寂しいです。

でも、つい先日の日記にも書きましたが、過去の日記を読み直して
父の自殺した理由というのが「あ、これかも」という納得できることが発見できました。

28歳の時に親戚に聞いた父の話でした。
今までは点と点でしかなかったものが、つながった瞬間でした。

受け入れられるのに、時間がかなりかかりました。
でもきっとそれも父の自殺した年齢を超えた今だからのタイミングなのだとも思います。

とっても苦しかったんだなあ。

父のことが許せた瞬間でした。

そしてそれは、父の事を許していると同時に、
また私自身のことも許しているのかなあとも思いました。
今日10月14日は、父の29回目の命日だ。

10月は毎年気持ちがかなり落ち込む。
記念日反応だ。

最近、プライベートでもバタバタ落ち着かないので
その疲れもあるのかもしれない。
10月に入って、色々な思いがどっと押し寄せてきている。

毎年、命日には同じような事を書いているような気がする。

父がいなくなって、あれから、もう29年も経った。

父の死亡診断書には10月14日が死んだ日となっているが
本当のところは分からない。

父はある日突然失踪して一週間後、地元山口県から遠く離れた他県の山奥で
車の中で一酸化化炭素中毒死しているところをたまたま通りかかった地元の人に発見された。

遺体の損傷が激しく、私は父の遺体は見ていない。
家に帰ってきたときは父は白い骨壺に入っていた。

一週間前まで、元気だった父が、
こんな小さな箱に入っているなんて、私は信じられなかった。

母は骨壺にすがって泣きわめいていた。
普段は感情を表に出さない、物静かな母があれだけ感情を露わにしているのは
後にも先にもこの時しかなかった。

13歳の私は涙など一切出なかった。

ただ、母の姿を見て、とんでもないことが起こっている
この現実を受け入れること、立っているのが精一杯だった。

自分の身体から魂が抜けていくのがわかった。
上から私を見ている、もうひとりの自分がいた。

父が何を思って自殺したのかなんて、いまだに分からない。
多分こうであろう、というのは想像できるが
やはり、それは想像でしかない。

答えを欲して、家族や親せき、色んな人に父の当時の様子を聞いたり、
自殺関連の本を読みまくったり
私の人生のほとんどは父の自殺の理由を知りたい
その一心でしかなかったように思う。

私は捨てられたんだ。
ただ、ただ、その絶望から救われたかった。

父が大好きだった。
愛されていると思っていた。

父のことを知りたくて、父の面影のある人を好きになった。
それでも父のことは分からなかった。

私も死んだら父の気持ちが分かるかもしれない。
会いたい、話したい,父のところに行きたい。
何度もそう思った。

父は39歳で自殺した。

来月には私は42歳になる。
父よりも3歳も年上になる。

私は少しは成長しただろうか。
少しでも、大人になれているだろうか。

父とお酒を一緒に飲みながら色んなことを話したかった。
たくさん喧嘩もしたかった。

父の自殺のことなんか、自分の人生から排除したい
一切無かった事にしたいと思っていたのだが
今、私はたくさんの人の前で父の自殺のことを語っている。

父の自殺が、たくさんの素敵な人との出会いを運んできて
応援して助けてもらっている。

皮肉なものだ。

39歳まで父に感謝の気持ちなど沸いてこなかったのだが
最近、少しづつ「ありがとう」と思えるようになった。
自死で大切な方を失くされ、差別偏見を受けた経験のある方でお話しを聞かせて下さる方。
こんなこと、あんなこと、どんな小さなことでも大丈夫です。

「あれ。おかしいな」とほんの少しでも思ったら、
それはあなただけではなく他のかたも感じられていることです。

もしお話し聞かせて下さる方がいらっしゃいましたら
大変 お手数ですがinfo@serenity-n.com(田口)までご連絡頂けたら幸いです。

今後の活動に役立てていきたいと思っております。

何卒どうぞ宜しくお願い致します。
本日9月10日世界保健機関(WHO)が定める世界自殺予防デー。

この大切な日に自分なりに思う事を少し書こうと思います。

私の父は今から38年前に39歳という若さで自殺をしました。
当時私は13歳でした。

私自身、39歳という父が自殺した年齢を超えられるかどうか不安でたまらない毎日を過ごしていましたが家族や友人、みなさんの支えがあり現在41歳となりました。

ありがとうございます。
父も天国できっと喜んでいると思います。

しかし、ほっとした安堵感、嬉しさと同時に複雑な思いもあります。
父よりも年上になってしまった自分。生き延びた罪悪感。

39歳を超えるのが人生の目標になっていたところがあったので
これから何を目標にどうして生きていいのか。

少しぽっかりと穴が開いている状況でもあります。

自死遺族の中には「自殺予防」と声高に言われると
家族の自殺を防げなかった自分が責められているようで辛いという声があります。

私もそうです。

ただ、誤解してほしくないのは
自殺で亡くなる人が一人でも減って欲しい。

私のような辛い思いをする遺された人がこれ以上増えて欲しくない。

それは強く思います。

実際、私も長年自分を攻め続けていました。
13歳の私には父の自殺を防げるような力などなかったにも関わらず。

自分が39歳になって分かったことは
父はひとりで背負いきれないものを沢山背負いすぎていたんだということです。

もともと父親っ子だった私は
丁度、反抗期で父に冷たくあたっていたことを
「自殺の原因を作ったのは自分だ」と思い込んでいました。

それは父を愛していたからです。

自殺だけではなく、愛する人の死に直面したとき
人は「自分にもっと何か出来たことはないのか。自分の力が足りなかったのではないか」
と思い続けます。

それは当たり前の反応です。

しかし自殺の場合は「見捨てられた」という感覚が強く出るような気がします。
私の場合はそうでした。私は子どもの立場だからなのかもしれませんが
(自殺した人と遺された人との関係性によって反応は少し変わってきます)
父に見捨てられたんだという想いが怒りに変わり苦しかった。

私の場合はその直後、母も後追い自殺をしてしまいました。
未遂に終わりましたが、その時の後遺症で今も障害が残っています。

母の障害を見るたびに、私は父の自殺を思い出し
「あれは夢ではなかったのだ。現実なんだ」と38年経過した今も思います。

そしてその後、私も20代の時に一度自殺未遂をしています。
それも未遂に終わりましたが、もしかしたら親子3人みんな
自殺していたという可能性もあります。

一つの家族で自殺者が何人もいるというのは
珍しい話ではありません。

自死遺族の自殺率が高いと言われていますが
自殺予防は自死遺族支援だとも言われます。

生き残っても辛い毎日。
常に襲ってくる希死念慮との闘い。
私も母もそうでした。

母は「自殺したお父さんが悪いんだから・・・ただ、黙って耐えていればいいんだ」
と私に言い続けました。

私はその言葉に「どうして?」と聞いたら母は「そういうもんだから」と。

「そういうものって何?」私は母に何度も問いましたが
母はただ「そういうものなの」としか答えてくれませんでした。

私はその時の母の「そういうもんだ」
という答えに納得が出来ず、ここまできたような気もします。



自殺は「追い込まれた死」とも言われます。

我が国の自殺者数は、
平成10年以降、14年連続して3万人を超える状態が続いていましたが、
24年は2万7,858人であり、9年以来、15年振りに3万人を下回りました。

これは自殺対策に国全体が必至で取り組んだ結果であります。
素晴らしいことですがそれでも依然2万人を超えています。

交通事故で亡くなる方が年間5千人程なのでそれに比べると
いかに自殺者数が多いかということがよく分かります。

データでは「2万分の1」は大したことがないように感じますが
家族やその周辺の人にとってはそのたった一人がかけがえのない人です。

遺された自死遺族として何が出来るか・・・
力不足を感じて、模索模索の日々です。

ただ、大切な人が自殺をして苦しんでいる人たちがいる
という現実があることをもっと知って欲しい。

そして遺された人にはそれぞれのストーリーがあります。
私だけのストーリーではなく、
みんなが自殺で亡くなられた方のことを
それぞれの悲しみを身近な人に語れる社会になって欲しい。

たくさんの失われた命を、語れず無かった事にしてほしくない。

そんな社会になれることを目指してこれからも活動していきたいと思います。